ランナーズハイ(部分的な勝利)
最近、久しぶりに足羽山を走りました。
仕事終了と同時に、常連の患者さんに拉致られました。
ランナーズハイに 笑
(最近、患者さんにお薦めされよかった。好きなアーティストです)
しかし、、、
定期的に息あげるのは、大切だなあってなりましたあ。
特に日々、雑念だらけの自分には。
そんな拉致ランで、走りながら2023年について少し話をしていました。
今年もたくさんの出来事や、成長の機会を様々な分野の人から頂けたはずです。
しかし、個人的には何かが停滞した年だったようにも感じたんです。。。
全てはダイナミックな流動性の中にいるので、そんな時期も大切なような気もしています。
しかし、なぜだろう、、
記憶が薄いのかな。。
思い返せば、きっと濃いはず。
年の振り返りは、毎年のように31日午後に改めて書きたいなあと思います。
唐突ですが、僕は記憶がある人がなんか好きです。
自分の大切にしている記憶を持っている人たちです。
それは、どんなものでもいんです。
できれば肯定的に語られているものがいいですが、それだけにはこだわりません。
しかし、たとえ否定が含まれていたとしても、肯定に変換、訂正していく人たちの記憶や物語に胸がうたれる事がよくあります。
大切な事を、きっと大切に感じているのだと思います。
それは曖昧でも。
よく意味がわからなくても。
うまく伝えられなくても。
その人らしい部分と、なにかと、どこかが、温かければ。
冷めたふうに語っていてもいいですし 笑
記憶といえば
今年読んだ、ある本の著者が放っていた名言が深すぎたのを覚えています。
記憶は死に対する部分的な勝利である
カズオ・イシグロ
この文言だけだと
深読み注意ですね 笑
個人的には衝撃を受けました。。。
僕は96歳に祖母とよく2人でランチに行くのですが、この時もその人にとっての大切な記憶というものの重要性を感じる事がよくあります。
しかし、記憶は時間と共に失われて行くものでもあります。
たまに自己満足で文章を書いたりしているのですが、最近たまたま読み返すタイミングがあって、なんとなく自分が記憶や身体性にこだわっている事柄について言語化していた事があったんです。
それについての内容は、稚拙すぎてここでは控えますね 笑
大切な事は、いつの間にかあるものなのかもしれません。
その上で意識しなくても、その人の中から失くならないものである一方、もし失いたくない記憶というものがあると感じるのであれば、それはとても美しい事だなあと思います。
それらは、その人を感動させるからです。
来週には寒くなるようですね。
まだ気持ちは秋っぽいなあ。
年末に向けてスケジュールが、かなり詰まってきました。
みなさまくれぐれも体調にお気をつけてお過ごしくださいませ。