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満身創痍(平凡再確認)

2024.02.29

最近、指を痛めたり、首を痛めたり、膝を痛めたりしてます。

 

満身創痍。

 

重なる時は、重なるのですね。

 

どこかで、日頃の行いが悪いのかもしれません。。

 

身に覚えがないです。

 

それがだめなのか 笑

 

 

 

 

(固定にホワイトテーピングの効果を実感)

 

 

しかし、テーピングの重要性や、患者さまの気持ち、改めて勉強になってます。

 

カラダを痛めると、いかに普通の状態が幸せで、快適であるかを強制的に思い知らされる事に。

 

したい事が、できない状態に。。。

 

しかし、これは怪我だけに限りませんよね。

 

僕らの生活にも、結構当てはまるのだと思います。

 

よほどの事がない、平凡な日常の当たり前が、本当は幸せみたいな。

 

平凡への充実感は、平和ボケが良いという意味ではなく、個々が後天的にも獲得可能な幸を感じる能力差だと思っています。世の中への批判や不満とはまた違ったものですよね。

 

喩えが適していないかもしれませんが、在る時はきづかなかったけれど、失ってみて、その大切さが身に染みるという経験は、誰もが一度はするかもしれませんよね。

 

本当に身に染みるのは、人生に数えるくらいしかなさそうだけど。。

 

そうあって欲しい 笑

 

しかし、きっと感謝という言葉のミソは、こういう所にあるのかもしれないと考えるようになりました。

 

これまでは、何かの温かい行為、快適な自然、周囲の人に大切な何かを、受け手側が無条件で感じるところに感謝は生じるのかなと思っていたのですが、実のところ自らそこを覗いて拾いにいくものなのかもしれないです。

 

とかいって、また快適な状態になると、そういった大切な気持ちを忘れてしまうのでしょう。

 

偉そうですみません 笑

 

それどころか、ないものねだりの慢心を繰り返し出すのかもしれません。

 

罪深いですよね 笑

 

そんなことを再確認し。

 

このところは、坂道ダッシュをとりいれています。

 

無意味、無目的に。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、あるご年配の患者様と、つたない話をしていました。その流れから、なぜかポロっと一言。

 

まだまだ、先生はたくさんの経験と苦労をしたほうがいいです。

 

それが自分の一部になって、更にあなたという人間的な部分が大きな魅力になるものですよ。

 

 

と。。。

 

 

 

 

 

 

大切な深みある“なにか“を感じました。

 

それは、その方の経験が含まれた表情や言葉の中に、”なにか”を感じたのかもしれません。もしくは、自分のとても大切な経験たちに、不意に重ね合わさったからなのかもしれません。

 

それが、“なぜか“は分からないけれど、そんなお言葉を頂戴し、僕は心の底のほうで、しみじみと感動してしまいました。

 

 

 

 

 

 

もうすぐすると、春がきそうな気がしています。

 

まだ温かいコーヒが美味しい季節ですね。

 

寒い日が戻ってきたので、寒暖差には体調管理おきをつけてくださいませ。

 

 

 

 

 

名曲cover 声綺麗です。