11周年(循環とは)
ブログいっきに書こうと思ったけど、、、
今月はトレーナー活動や、足育講座などの用意もあり
思ったより時間的に無理でした 笑
振り返りは感慨深い事なので、
6月中でぼちぼち行きたいなと思います。
とりあえずintroの続き。
循環とは
まずは振り返ってみて適当なワードで、思い浮かぶのはこれかなあと。
この時代、様々なところで使われるパワーワードですよね。
対人の仕事をしていると、いろんな意味でこの力が大きく働いている事を思い知らされます。
それを感じられるには、時を振り返り、俯瞰や客観的な視点になれた時なのかもしれません。
循環は人体や、自然、環境、エネルギー、
経済、流通、仕事、生活などなど、
それら幾多の人間関係から
自身を含めた、周囲の流れを感じられると、
その意味が理解しやすくなるような気がしています。
そこでは正直、嫌だなあと思う流れもあれば、心から気持ちいいなあとか、温かいなあと感じられる流れもあります。
僕にとって、ひびき整骨院は後者であり、自分の人生にとって、ポジティブな流れの役目を担ってくれています。
これは謙遜とかではなく
ここまで歩めているのも
決して自分の力ではなく
本当に皆さまのおかげなのです。
循環(繋がり、連鎖)は
意識しようが、できまいが
生きていれば上下、左右、過去未来、
どこにでもありそうですよね。
僕らが生きている世界を囲んでいる
山川草木、花鳥風月、季節のように、
全てはとどまる事なく流れていると思います。
僕たちの人間社会も。
思うに。
人間は集団的な動物だし、
基本的に社会を生きる上で、
最低限のコミュニケーションが必要な生き物です。
と、僕は思っています。
たとえデジタル時代に突入しても。
そこにはポジティブなものも、ネガティブなもの。
両方を孕んでいるかもしれません。
どちらにせよその在り方には、いろんな形や程度があったとしても、何ものも本当に個だけで独立して存在できるものってあり得なさそうだなあという事です。
もしかして
ありえるのかもしれないけれど、、、
とりあえず僕の小さな脳では、
生きている限りそういった認識には、
辿り着けないような気がしています。
開業当時の自分は、自分がどういった形を形成したいのか?
どういった道や、自分(表面的)を生きていきたいのか?
そんな事ばかりに、強く意識が向いていたように思います。
それも時に大切だったのかもしれませんが。。。
しかし11年経ってみると、ハートの本質に変化がなくても、その認識の仕方や奥行きに、大きな違いが生まれている事に気づかされたります。
それはどういう事かというと、、、
自分の在り方や、その道のりは、目の前の課題と、その循環のなかで形成されている。
そんな当たり前の事を、身を持って認識できるようになったという事なのかもしれません。
それは歩めた道のおかげという事になってしまうのですが。
いま思えば、11年前の自身と比較すると、仕事の技術力、様々な見識を広げてもらえる資格など、各側面でたくさんの刺激をもらっては、微力ながら自身のレベルアップをしてこれたように感じます。
その反面、何か見えていた景色や、強い思いが薄くなる感覚も少しありそうです。
しかし、それは相対的で必然的なもののようにも思います。
これまで整骨院のおかげで、様々な資格取得や、足病医(インソール)の研修、大学院で発達心理学を学べたり、足育講座、トレーナー活動としてもジュニアから、中学、高校、社会人、国体や国際大会など、様々な依頼を頂いたりと、おかげでたくさんの経験をさせてもらう事ができました。
思い出すだけでも、たくさんのフレーズがありすぎます。
これらは全て巡ってくる人や環境のおかげだなあと深く感じています。
自ら全てを導いたわけではありません。
むしろ、ほとんどない。。。汗
振り返ってみると、、、
やはり僕はただのラッキーボーイ。
そう思いました。
これはきっと何十年後振り返ってみても、ずっと同じオチかもしれませんね 笑
ただ、11年たってみて、いま思う事は
日々、目の前の世界によりよく向き合う事で、見えてくる隙間と瞬間に気づけるようにいたい。
そこには内と外を繋ぐ、本当に良い流れみたいなものがあって、そんな流れを大切に見逃さないように進んでいきたいという思いです。
近年は
自己啓発を好む人もいれば、
逆に自己啓発を嫌煙する人、
特に意識しない人、
社会には色々な感性と立場の人がいると思うのですが、僕自身はこういった話になると、そのどれでもいいんじゃないかなと思ったりしています。
ここはあえて上から目線で 笑
とりあえずポジショントークは不毛かなあとか。
(よく自分もしてそうだけれど 笑)
ただし、条件があって
それは
その人自身の好きな感じで、その人がいい感じになれて、その周囲もいい感じの空気が流れていれば、それでいいんじゃないかな。
その感じが大切じゃないかなあって思うからです。
でた感じ!
って思う人いますよね。
主語もよく省略するくせもあり
毎度、抽象的表現ですみません。
ただその人が、何かを通したり、
誰かといる事により、より良い循環になれるなら、
きっとなんでもいいんじゃないかなあ。
そんな感じで 笑
僕自身の傲慢と怠慢の原因は、こういう帰結に持っていく癖かもしれませんね。
ある尊敬する1人のアーティストの方が、このような話のヒントとして、(そこにいい影響をうけてます)とても腑におちる話をしていてくれた事を思い出します。
ちょっとうろ覚えだけど、、、
確か自分が置かれている循環の流れが、
気持ち良いものなのか?
気持ちよくないものなのか?
その判断はいろんなところで大切だよ。
そんな表現をしてくれてたように思います。
これだけだと、なんか自己啓発っぽいんだけど 笑
そういう感じでもなく、、、
もっと本能的に感じる心の声みたいなやつかな。
そういうとスピリチュアルみたいになってしまいますね 笑
心の本音でいいかもしれません。
みなさんはどうですか?
これは自身にもよく問いかけているのだけれど、たまに俯瞰して、自分の生活を眺める時間を作ってみるのもいいなあと思います。
程度はあると思うのですが、流れは、仕事、家族、恋愛、友人関係、社会活動、部活、などなどいろんな所にあるはず。
普通に生きていると、
何かに達観し理解した気になって
いつの間にか自己主体的に狭い世界で、
結構見えなくなる流れってあるんです。
逆に客観的に生きすぎてると
大切な世界観はどこかへ逃げていってしまいそうです。
どうか、良き流れのものは大切に、悪き流れのものには何かの一手で循環が変化していくようにしていけるといいですよね。
手前味噌ですが、ひびき整骨院は自分にとって、良き循環と流れをくれる場です。
もちろん患者さん達のおかげで、患者さん達にとっても良き循環の一部になれるのが本望なので、そのようにこれからも精進していきたいです。
良き循環は、僕の力ではなく、患者さんたちと接する世界がそこにあるからだと思っています。
それはとても大切な世界です。
そろそろ御託は終わりますね 笑
次回は、凹凸の世界で繋がるを書こうと思ったけど、
このシリーズ長すぎだな。。。
見切り発車すぎて、、、
ちょっと隙間でぼちぼち頑張れたらにさせてください 笑
来年はきっと、短く引き締まった1ページで終わらせます。
締めますね。
いい流れと循環を。
流れにはいい時も、あんましよくない時もあるかもしれないけれど、どちらにせよ、時に選択肢がなくても。
いつ時も自然と笑顔になれる
そんな時間と場をみつけては大切にしてほしいなと思います。
僕自身も、ひびき整骨院の12年目もそうありたいです。
皆さま良き日々を大切に