お腹3・5 感情と反応
夏きました。
今年は何かと身動きしにくいですが、心身の健康のためや、息抜きに何かしらの形でカラダは動かしていきたいですね。
ひびき整骨院では、足にとって良い靴選びに、日常用や運動用だけではなく、サンダルや、山を走れるシューズなども扱っています。
患者様の足のサイズを正しく計測し、ベストなものを提供していきますので、ご自身のサイズがわからない方はお気軽にご相談くださいね。
前回はお腹と心の関係について自論を話しました。
そんな中おなかで考える話で思い出した人がいます。
ウィリアム・ジェームズという学者さん
この方は常識とは異なる発言をしており有名な方です。
僕はこの内容を聞いた時、意味を捉えるのに、
考える力も、知識も持ち合わせていなかったので
ちんぷんかんぷんでありました。
興味ある方は解釈してみてください。
感情と動き(反応)の関係について
我々がこれらの粗大運動について考える時、自然な考え方は、ある事実の心的知覚が情動と呼ばれる心的感動を喚起し、この心の状態が心的表出を沸き起こすという事である。
私の説はこれに反して、身体的変化は刺激を与える事実の知覚の直後に起こり、この変化の起こっている時のこれに対する感じがすなわち情動であるというものである
(今田 寛訳、心理学 下 岩波文庫 1993年)
われわれは泣くから悲しい、殴るから怒る、震えるから恐ろしい、ということであって、
悲しいから泣き、怒るから殴り、恐ろしいから震えるのではないというのである。
われわれが森林の中で不意に黒い動く物影を見ると、心臓は鼓動を止め、即座に呼吸が止まる。
しかも何ら明瞭な危険の観念が起こる暇のないうちにである。
友人が断崖の端に近寄ると、彼が安全であることをはっきりと知っていて、墜落することなど想像もできないのに、誰でもよく知っている 『ぞっとするような』感じを起こして後退りする。
なんとなくいいたい事はわかりそうですが、、、
説明難しいですよね。。。
改めてちんぷんかんぷんになりそうです 笑
これらの言説は簡単にまとめると
一般的な発想でよく考えられる
心(感情や情動)が起こった後に、反応(動き)が生ずる
という考え方に対して、全く逆の
身体(神経)のほうから心のあり方を捉えている
という事だと思います。
僕はこれを理解できた時、ものすごく腑に落ちたのを覚えています。
前回のお腹や腸に心の中心が焦点にあてられている名言や文化にも通じますよね。
さらにこの言説で最も重要な点として主張している事に
我々がもし何か強い情動を想像して、次にその意識の中からその身体的兆候の感じをすべて抜き去ってみようとすれば、後には何物も残らない事を発見する。
動悸の高まりも浅い呼吸も、震える唇も力の抜けた四肢も、鳥肌も内臓の動揺もこれらの感じが全く無いとしたならば、どんな恐怖の情動が残るだろうか?
私には全く考える事ができない。
もし自分が身体的に無感覚になったならば、激しい感動だろうが、穏やかな感動だろうが、感動の世界とは無縁になり、単に認知的、あるいは知的形式の存在を長らえる事になるだろう。
情動(心)は身体的な変化や、身体感覚なしには存在できないという事を、ジェームズは強調したんだと思います。
ただこの説に関しては論争が続いているみたいで、、、
ポジジョントークできるほどの知識と力は僕にはありませんのでここまでに 笑
本当の真実があればそれを理解できる事は大切だろうけど、考え方の両極に偏るのではなく、
様々な物事の考え方や、捉え方ができたら裾野が広がるかも知れません。
また身体と心を、様々な視点で広く考えていけば、
今後のAI化やテクノロジーの発展する社会の中でも
より良く生きるために参考にしていけそうです。
次は本当に呼吸法
人は生まれた瞬間から呼吸が必要ですよね
普段、ヒトがこの世界で本当に自身をコントロールできる
唯一の方法は呼吸だけなのかも?とか思ったりします。
とはいえ普段意識できない時が多く、、
いつも浅い呼吸の自分です 笑
この夏は走りきる!
とか気持ちよく言いたいですが、呼吸に焦点をあてつつ
心に踊りと穏やかさを持って過ごしたいなあと思ってます。
暑い夏になってまいりました。
熱中症にお気をつけてお過ごしくださいね。