インターハイ予選(一生分の瞬間)
- この時期は、インターハイ予選のシーズンですね。
先日は、久しぶりに高校バスケットボール部へ
フィジカルトレーニングの提供にいってきました。
部活をしている学生さん達をみていると
毎年この時期に感じる事があります。
それは、限られた時間の中で、形成してきた自分やチームを、本気で試す一つの機会になるのだなあと。
様々な競技の中には、小さい頃から患者さんとして通ってくれていた子なんかもいて、頑張ってほしいなあという気持ちに。
みんなベストを尽くしてほしいなと思います。
別にこれは、競技だけに限った事ではないなあとよく日頃から思ったりします。
僕たちは何かを本気で達成したいとか
誰かに溢れる気持ちを伝えたいとか
受験とか、仕事とか、発表会とか
それは、なんでもいいのだけれど
自分が労力をかける事柄や、時間に対して
少なからず誰もが向き合う、そんな大きなイベントが時々にあるはず。
別に無理になくてもいいのですが、やっぱり生きてれば大なり小なりなにかはあるもんですよね。
誰もが知っているように時間て僕たちにとって、一般的に考えて限られたものです。
10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代。
基本的には、左から右に進んでいくはず。
こう見ると小生の年代は前半。
まだまだ若輩ものであります、、、
しかし仕事を通して、様々な年代の人たちと接する機会の中で、よく感じさせてもらう事があるんです。
それは、、、
それぞれの瞬間の経験というやつは、過去の記憶としては引き出せても、身体をもってイマの空間を体験する場面は、2度とは繰り返されそうにないようです。
そんなの当たり前だろー!
小難しくいわないで。。。
そんなツッコミの声が聴こえます 笑
それでも続けますね。
だから、一つ一つの
その時代における
確かな体験というやつは
一瞬で一生分になりえるような気がしてます。
身体性が伴うコンタクトやコミュニケーションは、ここに大きく影響してるんじゃないか。
個人的にそんな事を、ぼーっとしている時に考えたりしちゃいます。
過去の記憶のフレーズは検索すると、全てが一瞬のようですよね。
あえてそういう視点で見てみると、、、
どこにその大切な瞬間が訪れるかは、その人の人生体験次第。
本人以外には誰にもわかりません。
一般的に、幼少期や学生時代に原体験を感じやすいだろうけれど、人によっては中年期、または人生の集大成と言える晩年の時期に、そんな瞬間が訪れる事もあるかもしれないなあとか思ったりします。
もちろん、瞬間を感じる感受性や、その器は子供と大人で違うと思います。
その人にとっての大切な瞬間の振り返りや訪れは、年代に関係なく個人の内側にしかわからない。
瞬間はきっと無数にあるので、年齢を経れば経るほど、そんなフレーズの引き出しは多いのかもしれません。
しかし、人生の重要な体験において、年功序列はなさそうな気がしています。
ここらへんはかなり自論ですが、、、
例えその体験は言語化できず、、、
明日には自分でも
その瞬間の意味をうまく理解できなくなっていても、、、
また体験時には、その重要性をわからなくても、、、
思い返せるフレーズがあるという事は、その人の中に残るなにか大切なものがあるような気がするんです。
学生さん達にとっては、インターハイや、その予選は、瞬間として一つの記憶に残りやすいイベントじゃないかなあ。
いつのまにかの脱線から、、、
無理やり最初に返ってきました 笑
そこが一つの集大成になる子もいれば、ただ一つの通過点となる子もいるかもしれませんよね。
またやっと終わるなあと、節目に感じる子もいると思います。
なんでこんな事感じて、書いているかというと
駆け抜け終わってみて、残るものが否定ではなく肯定になってほしいなと感じるのです。
これもきっと自分にいいきかせてるのかもしれませんね 笑
それが虚しいものではなく、やってよかったなあ。
そういった感触が残って欲しいなとか、勝手ながら思うわけです。
本質的な肯定感情は勝った負けたや、優劣で周囲につけられるものではなく、自身が体験したことの中からしかでてこないような気がしています。
例え、厳しさ不条理、挫折を経験したとしても。
これは達成したり、結果を残せたらそう感じやすいだろうけれど、結果に繋がらず悔やまれても、最終的には否定でなく、やっぱりやってよかったなあと自分を肯定できるようにいてほしい。
そう捉えられれば、次に生きる自分の循環は変化していきます。
なぜか、そういった感じが好きなんですよね。
最後はかなり抽象的に終わります。 笑
なぜか
そんな感じが好きなんです。
はい。
あと一瞬で一生分というフレーズも好きです。
みなさま日々素敵な瞬間を